2006年02月21日

佐立努の故郷を訪ねる

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今日は佐立努の故郷石巻を訪ねた時のリポートです。

石巻と牡鹿半島を旅してきた。
天気にもめぐまれ、田植え前の田んぼと畑が
続く風景を堪能してきた。
柔らかな陽光につつまれた、田園風景。
畑ではじいさん、ばあさんが野良仕事をしている。
この風景を手に入れたい欲望にかられ、
僕はとりつかれたように、ビデオカメラを
回し続けた。
しかし、この風景を手に入れるとはいったい
どういう事なのか、
戦国時代の大名のように、支配する等ではない、
あるいは風景を
カメラで写し取る事でもない、
そして棲みたいという事でもないようだ。
簡単に言ってしまえば、自然と一体化
したいという事だが、
それは不可能な事だ。人間が動物と決定的にこと
なっているのは、自意識であり、それは犬や猫にも
ありそうだが、自然と離れてしまったという意識は
動物にはない。
未開社会や近代以前の社会には、
それでも自然とのつながりを維持するような
様々な装置、宗教や民間信仰等があった訳だが、
僕にはそれすらない。
決定的に失われてしまった自然との繋がりを求めて、
カメラをまわし続けた。

田園風景の感動もさる事ながら、はじめて目に
したリアス式海岸が本当に
素晴らしかった。
山あいの道から、突然海が見える、
初めは湖かと思ったが本当に海なのだ。
長閑な田んぼと畑だらけの風景から、
小さな山をこえるとすぐ海になる
ので不思議な感じだ。
リアス式海岸は起伏の多い陸地が沈降して,
海面が低地に入りこみ,
湾・岬・島などをつくった出入りの多い複雑な
海岸地形という事で、想像以上に
素晴らしかった。
かの松尾芭蕉の有名な句『松島や〜』の
松島も近くにある。
僕が訪れたのは、牡鹿半島、石巻からすぐの所にある、
ここのドライブコースの
コバルトラインに乗り半島を一周した。
半島の先にある岬は山になっていて、
左に金華山という霊山を望む事ができる。
ここの景色もまさに絶景、
背後以外すべてリアス式海岸の複雑な海岸線と海を
望む事ができる。
遠くには、水平線と空の境目がばんやりとして、
はっきりしない。
薄いグラーデションを
形成している。
ぼんやりとした境界線、
僕は色々な事に対して示唆的だなと思った。

そこから、すぐ下には。鮎川港という港がみえる、
午後の夕陽を浴びなら、
船が行きしているのが美しかったので、
次はそこに行ってみる事にした。

港に着くと割りと活気があった、
例の金華山への観光船が出ているようだ。
どことなく懐かしい感じ、
そして活気の中にも
何やら寂しい感じがしてとても
気持ちがいい。後日調べてみると、
鮎川港はクジラ漁業で栄えた町で、
その歴史は伊達藩にも遡るという。
しかし、クジラの捕獲禁止にともない今では、
町の人口は一番多い時の半分になって
しまったそうだ。
観光船の営業のおっちゃんに話し掛けられつつ
、僕は港を後にした。

この旅で何かフレッシュさを取り戻す事ができた。
一面田んぼだらけの風景がどうしても、普段生活する
東京と同じ国だと思えず...

山と山の間に田んぼがあり、その山を超えるとすぐ海という
とにかくリアス式海岸が美しい。



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posted by airplane at 13:11| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ■エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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